アイツは悪い魔法使い


 気が付けば、窓の外はもう真っ暗で、通りには閉まったシャッターがちらほらと見られる。
 「ふう、もう一息」
 もうこんな時間か、と思いながらも、私は目の前の書類と格闘していた。
 プロデュースされる側からする側になっても、事務仕事の種類が変わっただけで量はあまり変わらない。
 人員も少ないこの事務所に、私は今一人っきり。
 元プロデューサーの現社長は私の担当アイドルを車で送りに行っている所だ。
 私の担当アイドル、二人で一役の双海姉妹にはいつもいつも苦労させられている。
 でも、やりがいもあるし、アイドルを辞めた後も充実した生活を送れていると自分でも思う。
 「ただいまー」
 と、事務所のドアが開き、聞き慣れた声がした。
 「あ、社長、お帰りなさい。どうでした?」
 「あー、車の中でずっと寝てたよ。やっぱり子どもだな」
 笑みをこぼしながら、空いた椅子に背広を引っ掛けて彼は言った。
 「まだ書類、残ってるのか?」
 「ええ、来週のレッスンプランを組み立てて、今日は終わりかな」
 「じゃ、それが終わったら戸締りして帰ろう」
 「戸締りぐらいなら私がやっておきますよ? 先にあがっても」
 「いいって。律子のことだから、すぐに終わるだろ?」
 「……え、ええ。よく分かってるじゃないですか」
 私が彼に感心してしまうのはこんな時だ。よく見ていないようで実に私のことをよく分かっているというか、なんというか。
 「じゃあ、すぐに終わらせますんで」
 それだけ言って、私はすぐに目の前の書類を片付けにかかった。
 彼は、一言返事して社長室へと歩いていった。


 「さてと、じゃあちゃっちゃとやりますか……あ」
 机の上の書類を動かした所で、何かが床に落ちてキンと高い金属音を立てた。
 拾い上げてみると、小さな鍵。
 「いっけない、しまうの忘れてた」
 私の机の鍵。まだ整理していないが、主に保管用の物を入れる、鍵付きの引き出しの鍵だ。
 最後に開いたのは、いつだったっけ。
 「久しぶりに見てみようかな」
 社長を待たせてはいけないと思いながらも、鍵穴にその小さな鍵をねじ込み、カチャリという音と共に引き出しをすっと引いた。
 一番最初に目に入ったのは、開いた封筒と折りたたんだ2枚の便箋。そして、何枚かの写真だった。
 「あっ、これ……」
 整理するのをすっかり忘れていたものだった。
 写真の一枚を見ると、『祝ミリオンセールス!』の横断幕の下で万歳している、あの頃の私とプロデューサーがいた。
 「あー、あったあった、こんなの」
 他にも、PV撮影の時にプロデューサーが撮った私の怒った顔や、ソファーで爆睡する徹夜明けのプロデューサーの寝顔。
 初めてのTV収録を終えて、打ち上げと称してプロデューサーとお好み焼きを食べに行った時の写真もあった。
 「懐かしいわねぇ」
 アイドルだった頃の、私の大切な大切な思い出達だ。とは言っても、そんなに年月が経った訳でもないのだが。
 妙に懐かしく感じるのは、それだけ忙しさに振り回されて時間が飛ぶように過ぎているということなんだろう。
 「っと、この手紙、すっかり忘れてた」
 こっそり渡そうと思っていた、プロデューサーへのお礼の手紙。
 ゆっくり話す時間も最近は中々取れないので文字にして伝えようと思っていたのだった。
 真ん中で丁寧に畳まれた便箋を開いて、中を覗いてみた。
 『突然のお手紙、驚いたでしょうか?

  相も変わらず仕事に振り回されていて、お互いゆっくり話す時間
  も取れないので、こんな形でお話させてもらおうと思いまして。
  新しく立ち上げた事務所も、今の所は順風満帆に経営が進んでい
  ますね。この調子で、765プロダクションを食っちゃう勢いで突
  き進んでいきましょう!

  ところで、私と初めて会った時のこと、覚えてますか?
  あの時私はあなたと話して「こんな人と一緒に仕事して大丈夫な
  のかなぁ」と思いました。遅刻はするし、領収書は失くす。
  見通しも甘いし、私、情けないあなたをいっぱい叱ってきました。
  …今でも、かな?(笑)』
 「あはは、我ながら酷いこと書いてるなぁ」
 思わず苦笑する。
 『でも…本番前でガチガチな私の緊張をほぐしてくれたのも、無理
  して胸を張る私を寄りかからせてくれたのも、自信の持てない私
  の背中を押してくれたのも、あなたでした。私みたいな扱い辛い
  女の子をトップアイドルにしちゃうなんて、ね。尊敬してるんで
  すよ、本当に。
  自分で言うのもなんですが、私はアイドルとして大きな成功を収
  められたと思ってます。でもそれはあなたが私のプロデューサー
  だったからこそ。二人三脚で歩いてきたから掴むことができた
  成功だった。そう思うんです。
  …これからも、足並み揃えてあなたと歩いていきたいな…なんてね』
 「うぅ……最後の一行、何なのよ……」
 自分で書いたはずの言葉に思わず恥ずかしくなってしまう。
 でも、嘘は書いていないつもりではある。
 だからこそ、自分で事務所を立ち上げようと思った時に彼を誘ったのだから。
 「ま、こっちも仕上げちゃおうかな。いい機会かもしれないし」
 後に続く言葉を考えながら、私はまず目の前の仕事を片付けてしまうことに専念した。

 十分ぐらいでサクッと仕事は片付き、私は書きかけの手紙に再び向き合った。
 「なぁ律子」
 「うひあぁぁっ!?」
 突然背後から声がして、私はそれを仕上げた書類で慌てて覆い隠した。
 心臓が口から飛び出るような、とはまさにこのことだ。
 「んっ、今何か隠したか?」
 「な、ななな、なんでも! っていうか!どうしたんですか?」
 「あー、あのな。アレを……最近やってもらってなかったし」
 照れくさそうに彼は後頭部をポリポリと掻いた。
 「アレって……アレですか?」
 「そうそう。アレやってもらうと元気出るからさ。お仕事お疲れ様って事で……頼むよ」
 「……はぁ。しょうがないですね」
 あの日、新しい事務所にプロデューサーを連れて行った時に、彼の口から出た言葉。それは。
 「目、閉じてくださいね。顔見られたら恥ずかしいんで……」
 私の言う通りに彼は目を閉じたが、もしかしたら薄目を開けているかもしれない。
 顔を見られるのはちょっと恥ずかしい。そう思い、耳元まで顔を近づけて、
 「お仕事お疲れさま……ダーリン」
 言ったというよりは、囁いた、の方が適切だったかもしれない。
 口に出した瞬間、じわっと胸の中に甘い熱が広がっていった。
 「うーん、いいねぇいいねぇ」
 彼はデレデレしただらしない笑顔を晒した。あぁ、本当に情けない。
 「鼻の下伸ばさないで下さい、もう。それより戸締りはいいんですか? そろそろ終わりますけど」
 「あ、まだだった。確認してくる」
 「……はぁ」
 背中を向けて歩き出した彼がいなくなるのを見送ると、書類をどけて再び書きかけの手紙を見た。

 ダーリン、か。
 彼はその言葉がどれほど強い意味を持っているか分かっているのだろうか。
 それを言う度に私の胸がどれだけ熱く締め付けられるか分かっているのだろうか。
 ダーリン……いとしい人。『愛してる』と言っているも同然なのに。いったい、何のつもりなんだろう。
 新しい事務所に移って以来、常に胸の奥をチリチリと焦がし続けてきた感情だった。
 本当は、ずっと前から持っていたのに気付かない振りをしていただけだったのかもしれない。
 「仕事は仕事。プライベートはプライベート」
 そう自分に言い聞かせてみた所で、生活の大半をタレント活動に割いてきたアイドル時代も、プロデュース業に費やしている現在
も、プライベートもへったくれも無い。辛い道も楽しい道も一緒に通ってきた彼とは、もうただの仕事仲間なんていう間柄はとっく
のとうに過ぎているのは自覚している。
 「はぁ……どうしたもんだか」
 忙しさと仕事に打ち込むことで誤魔化し続けてこれたけれど、そろそろガマンするのも苦しくなってきた。
 ―――だったら、話してみたらいいじゃない!
 と、怒った顔のアイドルが、写真の中から語りかけてきたような気がした。
 (でもなぁ。これって本人に話すことかしら?)
 ――――あの人なら、何とかしてくれる。だって、あなたの夢を叶えたんだから
 天に向かって両手を突き上げてバンザイするアイドルは、一点の曇りも無い満面の笑みを浮かべていた。
 「そっか……。そうよね。やだなぁ、私、何だか一気に老けこんじゃったみたい」
 よし、頑張ってみるかと一言自分に気合を入れ、私は書きかけの手紙を完成させてしまうことにした。
 『ところで、私とあなたってどういう関係なんでしょう?
  プロデューサーとアイドル、芸能事務所の社長とプロデューサー…
  っていう仕事仲間?苦難を共にしてきた仲間? 私に「ダーリン」
  なんて呼ばせておいて、いったいあなたは私のことをどう思ってい
  るのかしら? 口はキツイし生意気だし、時にはワガママだけど…
  私だって年頃の女の子なんですよ?
  本当は直接問いただしたい所だけど……時間も無いし、それに……
  ちょっと……勇気も足りないかも。
  とにかく。もうそろそろ、私にかけた魔法、解いてくれません? 』

 「こっ……これはっ」
 ついつい勢いで書いてしまったが、書いた側としては思い切って恥ずかしい事も書いたもののなんとも中途半端な気がする。
 感謝の手紙としては意味深というか思わせぶりな内容だし、ラブレター……にしてはあまりに遠まわしすぎる。
 「うー……でもでも……あー書けないよそんな事!」
 直接にその言葉を書く度胸は流石にないけれど、どうしたら彼に私の言いたいことを察してもらえるだろうか。
 頭を捻った結果私が出した結論は、こうなった。
  『P.S.
   以下の英単語を日本語に直しなさい 
                darling  (      )   』 

 我ながら、よくもまぁこんなに歯の浮いてしまいそうな事が書けたものだな、と、改めて始めから見直して驚いてしまった。
 と同時に、自分の本音を実感させられたような気もする。たまには、形にしてみるのも悪くは無いかもしれない。
 自分の望む、もう一歩先に進んだ関係になれるかなんて分からないけれど、伝えれば伝わるのだ。
 もしダメだったとしても、あの人だったらどうにか上手くやってくれると思う。


 ご丁寧に住所も書き終えて切手まで既に貼ってあった封筒を閉じて糊付けした所で、問題の人物がフロアに戻ってきた。
 「思ったよりも時間かかってたみたいだけど……終わったか?」
 「あ、は、はい。終わりましたよ〜! 帰りましょうか!」
 咄嗟に私は手紙を後ろ手に隠してしまった。
 郵便ポストに出せば確実にあの人に届くけれど……出来れば、なるべく早い内に彼には読んでもらいたい、と思う。
 でも、直接渡す勇気なんて私には無い。
 その瞬間、私にあるアイデアが閃いた。
 「私はもう準備出来てますから、先にエレベーター前に行ってますね」
 入り口近くにかけたままの彼のジャケットを腕にひっかけて、私は事務所のドアを開けた。
 彼に見えないように壁に隠れると、こっそりとポケットの中のポストへ手紙を投函した。
 スケジュール帳も入っているようだったし、彼がスケジュールを確かめようとすればすぐにでもその存在には気付くだろう。
 「はい、持って来ておきましたよ、これ」
 「あ、律子が持っててくれたのか。ありがとう」
 何食わぬ顔を装ってはみたものの、内心では時限爆弾でも仕掛けたかのようなスリルが渦巻いていた。
 いつ爆発するだろうか。今すぐかもしれない。あるいは不発に終わってしまうかもしれない。
 カッカと熱を持った顔は赤くなっているかもしれないし、高鳴った鼓動が空気を伝って彼の耳に届いてしまうかもしれない。
 彼とエレベーターで一階に下りるまでの間、私は何も喋ることができなかった。
 「……疲れてるのか、律子?」
 ビルの玄関を出た所で、黙ったままの私に彼が心配そうに尋ねた。
 「いえ、大丈夫ですよ。まだまだいけますって!」
 「ホントか? ……まぁ、何か心配事でもあったらすぐ俺に言えよ」
 私が元気でないのはお見通しだったようだが、彼は無闇に詮索しようとはしなかった。
 詳しく聞こうとする時もあれば、今のように私が話すまで待っていてくれる時もある。
 その匙加減すら彼は分かっているのだと思う。
 ──彼はどれだけ私のことを見てくれているのだろう。
 「はい……ありがとうございます」
 足の先からじんわりと全身が温かくなってくる。やはり私はこの人を求めているのだ。


 「じゃ、帰りますね」
 「ああ。じゃあ、また明日もよろしくな」
 「うん。また明日ね……ダーリン」
 別れ際、ちょっと高揚した気分に身を任せて、私は爪先立ちになって彼の頬にキスをした。
 「えっ……?」
 「スケジュールの確認、忘れたらダメですからね」
 頬を抑えて、何が起こったのか分からないような顔で立ち尽くす彼を尻目に、私は駆け出して駅へと向かった。


 「ああ、なんて恥ずかしいことをっ!」
 帰り道、小走りのままで、私は顔どころか全身が燃え上がりそうに火照るのを感じていた。
 あんなことをしでかすなんて、自分で言うのもなんだけど私のキャラクターにはとてもそぐわない、と思う。
 きっとこれも彼のかけた変な魔法のせいに違いない。そう決まっている

 
 それもこれも、全部あの悪い魔法使いがいけないのだ。


 終わり



―後書き―

未来館に初めて投稿したSSでした。
手書きの手紙っていいですよね。あたたかくて。