sweet sweet love magic
秋という季節には、様々な枕詞がつく。読書の秋、運動の秋、そして、食欲の秋……などなど。
そんな秋の枕詞の一つが、今の俺にとっては悩みの種だった。
それは、『思索の秋』。頭を使うと糖分が必要になるから、と言って、律子の間食が増える一方なのだ。
女の子と甘い物、なんていうのは、切っても切れぬ関係と言っても過言では無いだろう。PV撮影を控えた大
事な時期に顔が丸くなってきた律子に間食抜きを命じ、ファンの視線を盾にしてどうにかこうにか説得したは
いいものの、好きな物を食べられないストレスで日増しに苛々を募らせて辛辣さを増す律子の言葉や態度に、
俺までストレスを溜めてどうにかなってしまいそうだった。
律子だって頭では節制の必要性を分かっているのだ。体のラインがはっきりと見えるダンス用の衣装を身に
まとって撮影するシーンもある予定だということは知っているし、だらしなくたるんだウエストや飛び跳ねる
度にたぷたぷ揺れる垂れ下がった二の腕など、年頃の女の子としては絶対に晒したくないだろう。それ以前に
太ってしまえばダンスのキレが悪くなってしまうので撮影に大きな支障が出るのは間違いない。
とはいえ、日常のサイクルでもあるおやつの制限を強いることもまた、律子にとってのストレスになる。い
い笑顔が見られなくなっても困るし、仕事に精彩を欠いてしまえば元も子もない。
会議室の中、ミーティングを始める前に、俺は弁当箱が入るぐらいのサイズの箱を取り出して机の上に乗せ
た。ピンクの紙で包んであって、紅白のリボンで纏め上げられている。
「で、何です? その箱」
それを一瞥してから、見るからに不機嫌そうに律子が言った。
「リボンの結び、汚いですね……」
きっとダメな店員が結んだんだろうな、と律子は言いたげだが、結んだのは俺だ。その汚いリボンを解きな
がら包み紙を開き、外した蓋の中から台紙に乗ったココアブラウニーを引き出して律子の目前に差し出す。フ
ォークも一つ、昨日事務所から拝借したものを付けてある。
「食うか?」
律子の眉が期待にぴくりと動いたが、すぐに目元が吊り上がる。
「……間食するなって言ったのはプロデューサー殿ですけど、どういう風の吹き回しなんですか?」
ぐさりと釘を突き刺すようなキツイ物の言い方は、やはり心に痛い。ジトッとした目つきにストレスの溜ま
り具合が窺えるようで、目を見るのがはばかられるほどだ。
「太らないために、って建前なのに、こんなの買って来てたら本末転倒なんじゃないですか? そりゃあ確
かに甘い物食べられなくてイライラしてはいますけど、機嫌を取るにしてももう少し考えてくださいよ」
「いや、買って来た物じゃないよ」
「じゃあ、春香辺りに頼んで作らせたって所ですか。手作りならいい、って安直過ぎません?」
「うーん、一応自分で作ってきたんだが……」
「え、プ、プロデューサーが?」
トゲトゲした視線をぶつけ続けていた律子の目が突如の驚きに見開かれ、への字に曲がっていた唇が少し和
らいだ。
「まぁ、美味いかどうかは分からんが、律子が食べないんだったら捨ててくるよ」
俺が箱に蓋を被せてしまおうと左手を机の上に乗せると、律子がその手を見てギョッとした。
「あ、人差し指が……」
そう言いながら、律子が絆創膏の巻かれた俺の人差し指を指した。先ほど、書類で切ってしまった指だ。コ
ピー機から取り出したばかりの紙にはありがちなことで、手が滑ってスパッとやってしまったのだ。
律子の表情を窺ってみると、叱られた子どもみたいな『ごめんなさい顔』に切り替わっている。
「指を怪我してまで作ってくれたんですからちゃんと頂きますよ。そんな、捨てるなんて勿体無いこと……」
「いや、これはさっき紙で切っちゃっただけだよ、あはは」
「いえいえ、そんな誤魔化さなくても、プロデューサーの誠意は伝わりましたから……すみません、そこま
でプロデューサーに気を遣わせてしまって。では……」
──いくらなんでも包丁で指を切るほど不器用じゃないんだけどな。まぁ結果オーライか。
先ほどの態度が一転、申し訳無さそうに律子がフォークを手に取る。切り分けておいたブラウニーが迷い無
く唇の隙間へ運び込まれていった。左手で口元を覆うようにして、味に意識を集中しているのか、焦点の合わ
ない瞳で一角の削り取られたブラウニーをぼんやりと見ていた。
「……しっとりしてて美味しい。シャリシャリしてるのはココナッツですか? それにしてはココナッツの
香りがしないけど……」
「レシピ、見るか?」
疑問符を浮かべながらも頬をもぐもぐさせている律子に、レシピを書き込んだ紙を取り出して手渡す。
「何コレ……バターもチョコレートも、それどころか小麦粉、砂糖、卵すら入ってないんですけど。ってい
うか、おから? 山芋? そんなので本当にこんな味になるんですか?」
「ネットで調べてみたんだ。カロリーを抑えながらも美味しいデザートを食べたいって人のための低カロリ
ーデザートって奴だよ。卵はカロリー高いし、砂糖を始めとする炭水化物って摂り過ぎると肥満に繋がるから
それを極力排除しようって狙いらしい」
「へー、そんなのがあったのね。ネットでレシピを調べるってのは盲点だったかも!」
「おからの豊富な食物繊維のおかげで腹持ちもいいし満腹感もある、ってコメントがついてたな、確か」
「そうですよね。おからクッキーなんてダイエット食品もあるぐらいですし」
弾む会話の中、次々にブラウニーが律子の口へ運ばれていく。これだけパクパク食べてもらえると、作った
方としても嬉しいものがある。
「美味しい!」と、無邪気とすら言える純粋な笑顔を見せる律子に安心する一方で、ファンの前で見せるの
とはまた違った魅力的なその表情に、胸がドキッとした。
「……あ」
夢中になってブラウニーを食べていた律子が、思い出したように手を止めた。フォークに突き刺した焦げ茶
色の塊を、こちらに向かって差し出している。
「な……何?」
「私ばっかり食べてて一つも食べてないでしょ、ほらほら」
ニコニコ顔で上機嫌に笑う律子に、口を開けるように促される。いわゆる『あーん』だ、とすぐに理解した。
「ん」
ついノリで、促されるままに食べてしまった。久しぶりのスイーツに舞い上がっていて律子は気付いていな
かったのかもしれないが、たった今俺が食べた物に刺さっていたのは律子が使っていたフォークであり、それ
が示すのはつまり……そういうことである。健康的につやつやして柔らかそうな律子の唇に目が行ってしまう。
自分で作って味見した時よりも、随分と甘みが濃く感じられたような気がした。
もう一本ぐらいフォークを用意しておけばよかったと思う傍ら、なんてやり取りをしてしまったのだろう、
と、嬉しさと恥ずかしさと後ろめたさに顔が熱くなって、律子の顔を直視できなくなってつい目を逸らした。
「よし、じゃあミーティングを始めよう!」
──ご馳走様です。
そう言いたい気持ちを無理矢理喉の奥に押し込んで、俺はわざとらしく口火を切った。
ここ最近のギスギスしていた惨状を考えると、嘘みたいに順調にミーティングは進んだ。
「あ、律子。これ持っていきなよ」
会議室を出る直前、机に出したままにしておいたレシピを律子に差し出す。
「んー……いいです」
数秒間目を細めて考え込んでから、律子は首を横に振った。
「え、どうして? 自分で調べて作るか?」
「だって、次のミーティングの日にまた作って来てくれるんでしょ?」
律子は満面の笑みを見せてから、イタズラっぽく口元を吊り上げた。
「なにっ!? ま、また俺が作るのか?」
「いいじゃないですか。ストレスから解放されて私のモチベーションも高く保てるし、同じような経験を積
んでいけばプロデューサーのお菓子作りも上手になって、一石二鳥ですっ!」
拳を固く握り締め、ここぞとばかりに律子が力説する。
「……別に後者は求めてないんだが」
「ほら、パティシエって男の人が多いし!」
「俺はパティシエじゃないぞ……それはともかく、作る時間あるかなぁ」
「慣れれば効率化も進んで、どんどん時間は短縮できます!」
これでもか、という程、律子の瞳がキラキラしている。不味いと言われたらどうしよう、と不安に思ってい
たぐらいなのに、ここまでの反応が来るのは正直言って予想外だ。口の上手い律子のことだから、このまま渋
っていてもその内説得されてしまうのは目に見えている。やれやれだ。
「……分かったよ。その代わり、体型の維持は頑張ってくれよ?」
「ええ、それは任せて。いい具合に気が引き締まりましたし、努力します」
キリッとした表情で眼鏡を正す律子に、俺の身も引き締まる思いだ。手間はかかっても、これだけやる気を
引き出せるのなら、お安い御用かもしれない。次回は別の物を用意しなくては。
また美味しい思いができるかも……と、下心が顔を覗かせていたのは秘密だ。
終わり
■ おからココアブラウニー( 65mm×175mm型1個分 )
おから 100g
純ココア 20g
プレーンヨーグルト 40g
低カロリー甘味料(液状) 大さじ2 (ラカントとか使うとしっとり感が出てグッド。無ければ砂糖大さじ4でもおk)
山いも 50g (すりおろす。無ければ卵1で代用可)
ベーキングパウダー 小さじ1
1.材料を全部ボウルに突っ込んで混ぜる。
2.型に入れて表面を平らにする。タッパーの底にクッキングペーパー敷くんでもOKかと。
3.700wの電子レンジで5,6分チン。粗熱が取れたら冷蔵庫で冷やす。
4.切る。食う。
―後書き―
以前からこういうのやってみたいと思っていて、某レシピの人を全力でリスペクトして書いてみました。
「短くシンプルなSS」を目指して、色々詰め込みたい気持ちを抑えてみたんですが、結局1レス分に収まるような
長さではなくなってしまってしまいました。後日談をその内追加するかも?