華麗なる一時



 太陽も落ちて真っ暗な空の下、俺と律子はまだ溜まった書類の整理に追われていた。
 自分の担当が終わった小鳥さんも上がってしまい、事務所に残っているのはもう二人だけ。
 定時で終われるわけも無いのだが、今日も遅くなるのかと思うと溜め息が出る。
 「はぁ、こんな時は景気付けに一杯やりたいもんだなー。どうだい律子、飲みにでも──」
 「未成年ですよ、私。寝言言ってないで手を動かしてください」
 隣のデスクでペンを走らせながら呆れたように律子が言う。
 (まあそうだよな)
 また溜め息をついた。もうぬるくなったブラックの缶コーヒーをぐいと飲み干すと、シャープな苦味が走る。
 気の抜けた事を言ったのを引き締めるためか、はたまた落胆に追い討ちをかけるためか、舌が妙にチクチクした。
 「なんていうかな、気分転換に、と思って」
 「気分転換?」
 何を頓珍漢なことを、と言わんばかりの律子の視線が少々痛い。
 「そう、最近見るからに疲れてるし、ストレスも溜めてそうだと思ったからな」
 「……ふーん。中々よく見てるじゃないですか。そんな素振りを見せたつもりは無いんだけど」
 律子がペンを止め、眼鏡を指で押し上げたが、またすぐに右手を動かしてカリカリ書き始める。
 どうやら、表情をほぐして笑う余裕はあまり無いらしい。
 無理も無いだろう。最近は雑誌取材に番組の収録、ロケで写真撮影とスケジュールは目一杯だ。
 仕事に付き合う俺ですら結構ヘトヘトになっているっていうのに、これで疲れなければ人間じゃないだろう。
 「まぁ、自分の身体じゃないからな。よく見てなきゃ分からないよ。……で、どうだ?」
 「どうって……何です? 早く残ってる書類片付けちゃいましょうよ」
 「仕事終わったら何か美味いものでも食いに行かないか?」
 「終わったら、ねぇ……」
 「おごるけど……どうだ?」
 ぴたり。その瞬間、また律子の手が止まり、視線が数ミリ揺らいだ。
 おごり、の一言が頭の中でグルグル回っているのが目に浮かぶようで面白い。
 俺のほうを一瞥してから書類、天井と視線を移している。何か言葉を探しているようだ。
 「……そ、そうね。こう疲れてる時は、スタミナのつくものなんか食べるのもいいかもね」
 「決まりだな」
 おごりと聞いた途端にこれだ。「現金な奴だ」と俺はこっそり口の中で呟いたが、内心はガッツポーズだ。
 実際、外食する時は一人でも構わないのだが、今日は誰かを一緒に誘いたい気分だったのは事実だから。
 「うーん」と律子が顎に指を当てて何やら考え込んでいる。
 十秒ほどしてからポンと掌を叩いて体をこっちへ向けた。
 「私、美味しいカレー屋さん知ってるんです」
 「カレーか。もう何ヶ月も食べてないな」
 あのカレー独特の香ばしいスパイスの匂いを思い浮かべると急激に空腹感が込み上げてきた。
 口の中がキュッと締まり、唾液が沸いてきたのを感じる。
 お腹が減っている時のカレーの話ほど食欲中枢を刺激される時は無い、と思う。
 今にも俺の胃は情けない鳴き声をあげてしまいそうだ。
 「ここからならそう遠くないですし、値段もお手頃……穴場みたいな店だから混んでないはずですよ」













 上目遣いの期待に満ちた視線が俺をじっと見た。
 口ではセールストークみたいなことを言うが、『行きたいなぁ、カレー食べに行きたいなぁ』と双眸が訴えかけていた。
 言葉の裏に隠れた本音のアピールぶりが微笑ましくて、小さく息を吐いて笑った。
 「よし、じゃあ終わったらそのカレー屋に行くか。そうと決まればもう一息。頑張ろう」
 律子は頷くと、隣で再びペンを走らせ始めた。その口元は、僅かに釣り上がっていた。
 (良かった。少し心に余裕が出たようだな)
 張り詰めていた空気の緊張も緩み、お互い肩の力が抜けた中で書類の処理はサクサク進んでいった。


 三十分もしない内に残りの書類も片付き、戸締りを確認して俺と律子は事務所を後にした。
 電車で帰っていく時もあるが、家まで送っていくということで二人で駐車場に止めた車に乗り込む。
 律子の言っていた通り、本当に事務所からそう遠くない場所に店はあるようだった。 
 車で約十五分、手ごろなコインパーキングを見つけてそこに車を止めた。
 外の空気はやや涼しくて心地良い。夏の終わりと秋の到来をそれとなく予感させてくれた。
 車を降りて、律子に案内されるままに歩いていくと、商店街から裏通りへ入った。
 焼き鳥屋や居酒屋から吐き出される煙と、狭い道で行き場の無いむわっとした空気が顔にぶつかってくる。
 そこらを歩いているのは仕事帰りに飲みにやってきたと思しきスーツ姿の男性が中心だ。
 派手な化粧を施して華やかかつ露出の高い衣装に身を包んだ女性も通る。
 すれ違いざまにキツい香水の匂いがした。隣の律子をチラと見ると、彼女も鼻をしかめていた。
 「あ、ここです、ここ」
 やがて、一軒の店に辿りついた。軒先にはショッキングピンクの看板が光っていて、店の前のベンチにはサリーに身を包んで
いかにもインド人ですといった出で立ちの女性が立っていた。置かれた看板に書かれた手書きのメニューがさりげなく目立つ。
 ガンディー。それが店の名前だった。店の窓に張られた国土の地図。オレンジ・白・緑に色分けされたそれが、メニューの内容を
確認するまでもなくここがインド料理の店だということを物語っていた。
 「さ、入りましょ」
 パッと見かなりいかがわしい雰囲気を漂わせているというか怪しい匂いがプンプンするのだが、律子は躊躇せずドアを開けた。


 白いドアを抜けるとまず目に入ったのは、あちこちの壁にかかった掛け軸だった。象の顔をした人間や、腕の沢山ある女性。
 (ああ、ヒンドゥー教の神様か。確か神道みたいな多神教なんだったっけか)
 カウンターの上には小さな水槽があり、二匹の金魚が泳いでいる。その脇にはマハトマ・ガンジーの肖像。天井からは、六角柱
の底面をそっくり切り取って切れ目を入れたような筒が幾つも垂れ下がっている。インドの地図も壁に貼り付けられていた。その脇
には、ヒンドゥー語と思しき文字が書いてあり、一緒に『おはよう』だの『さようなら』だの日本語訳が付け加えられている。
 テーブルやカウンターの配置はどこにでもある喫茶店の物だが、まるでインドがそのまま引っ越してきたような内装だった。
 「いらっしゃいませ」
 店内から見える厨房の中から日本語が聞こえた。同時にウエイターがメニューを小脇に抱えてこちらに歩み寄ってくる。
 厨房の中が見える二人用の席に案内してくれたのは、インド人の青年だった。よく見ると、他の店員も日本人ではない。中には
額にシールのような模様をつけた人もいた。
 「……あの、どうしました?」
 ウエイターの青年が、律子をしげしげと眺めていた。怪訝そうな瞳で律子が尋ねてみると、彼は何かに気付いたのが、
 「あなたをテレビで見たことがあります。秋月律子さんですよね?」
 イントネーションは間違っていないがやや片言の日本語でそう言った。
 人を指差すのが失礼に当たるのはインドでも共通なのか、首だけを律子の方へ向けていた。
 「あ、私のこと知ってるんですか?」
 「そう、そうです。前にも来ていたのを覚えています。その時はまだ知らなかったです」
 「もうだいぶ前でしたからね。覚えてもらってて嬉しいです」
 律子がニコっと笑った。ファンの前では営業スマイルの時も当然あるが、今回は本当に嬉しいようだ。
 嬉しいのはウエイターの彼も一緒のようで、聞き慣れない言葉で厨房の方へ呼びかけると、コック帽を被った男性がサイン色紙を
持って来て青年に手渡した。
 「あ……秋月さんのサイン、下さい」
 やや緊張した面持ちで青年が律子に尋ねた。
 「ええ、後でお渡ししますね。……ところでメニュー、もらえますか?」
 「あっ……申し訳ありません」
 仕事を一瞬忘れていた彼は深々とお辞儀をして、メニューとお絞りを渡してくれた。
 お冷も持って来てくれると、一旦彼は厨房の方へ引っ込んでいった。
 引っ込んだ先からあがってくる歓声のような声から、彼が律子のファンであるらしいことを窺い知れた。


 「裏通りの店か……なんだかマニアックだな。店内の雰囲気もそれっぽくて」
 「ここを知ったのは友達からの口コミなんですけど、まさにそれですよ。知る人ぞ知る、って感じのコアなお店で」
 メニューを開くと、何種類ものカレーの名前が書いてあって、日本語名の上には見慣れない文字がある。ヒンドゥー語か。
 律子が言うにはカレーセットがお勧めとのことなので、二人ともそれを頼むことにした。
 カレーの種類を選べたので、俺はマトンカレー、律子はバターチキンカレーを選んだ。
 先ほどのウエイターを呼んで注文を済ませると、また耳慣れない言葉で彼は厨房に向かってオーダーを告げた。
 「マトンは前回食べたから今日は違うのにします。……ふふっ、カレーが出てきたら、きっとビックリしますよ」
 「ビックリ、かぁ」
 「前に友達と一緒に来たんですけど、二人して驚いてましたからね」
 「二人して……」
 ということは友達と二人で来たのか。
 高校の友達という所だろうが、はたしてこんな怪しげなカレー屋に女の子二人で来るものだろうか。
 もしかして、男友達……いや、彼氏かもしれない。そう思った途端、なぜか無性にイライラした。
 「あ、友達って言っても高校の同級生の女の子ですからね。変な勘違いしないでくださいよ?」
 フォローを入れた様子の律子は心なしか慌てているように見えた。
 「いや……勘違いなんてしてないよ」
 「ま、スキャンダルの危険は当然視野に入れてますので、その辺はご心配なく」
 「ああ、それならいいんだ。交友関係にまで口を挟む気は無いし」
 そう言った割には、苛立ちは消え去ってくれなかった。
 俺が危惧しているのは、プライベートで異性と二人で食事に来ている所を週刊誌に撮影されてしまうことだ。
 アイドルにスキャンダルはご法度である。自然とそういった所にはシビアにならざるを得ない。
 律子がそこに気を付けているのならばいいはずだ。彼女はやると言ったらやってくれる。信頼できるんだ。
 本人がご心配なくと言っているんだからその通り、心配なんてしなくていいはずだ。
 ならばこの釈然としない気分はなんだ。望んだ答えをもらっているはずなのに、どこかズレているような気がする。
 そのズレが何なのか、考えてみてもよく分からなかった。
 「……プロデューサー?」
 律子の声が聞こえて、ふと我に返る。
 「……もしかして怒ってます?」
 「いや、何でもないんだ。ちょっと思い出せないことがあっただけで」
 適当な言い訳をしてお茶を濁した。
 俺がそれ以上言いたくないのを察してくれたのか、律子もそれ以上は言及してこなかった。
 ところで学校の方はどうだ、と言いかけて止めた。まだ高校は夏休みだ。
 もやもやした気分を抱えたままにするのも釈然としないのだが、何でもいいから別の話題で話がしたかった。
 「ああそうだ、今の内にサイン書かなくちゃ」
 少々気まずい雰囲気の中、思い出したように律子はそう言ってペンケースからペンを取り出してサインを書き始めた。
 カウンターの右奥のガラスから厨房の中の様子を見ることができたので、俺は視線をそちらへ向けた。
 中華鍋を引っくり返したような形の大鍋の表面に伸ばしたパン生地みたいな物が張り付いている。
 どうやらナンを焼いているようだ。窯の中でも鉄板の上でもなく、裏返した鍋の底で焼いているような光景が興味深い。
 こうして厨房の中が少しでも見えると、客としては目が飽きることもなく面白いと思う。
 耳に神経を集中させてみると、先ほどから流れているエスニックな雰囲気の曲がずっとループしていることに気付いた。


 やがて、ウエイターの彼が大きな皿を二枚運んできた。
 「お待たせしました」
 その一言と一緒に、水枕大の銀皿が目の前に置かれた。引き換えに、律子からサイン色紙を受け取っていく。
 「な、なんだこりゃあ」
 まず目を引いたのは、先ほど厨房の中で焼かれていたナンのその堂々たる巨大ぶりだった。
 焼いた時の油が天井の明かりを浴びてつやつやと輝いている。
 角を取った直角三角形のような形状のそれは皿の三分の二近くを覆い尽くしていて、頭を乗せたら枕にできてしまいそうだ。
 インドカレーを食べるのはこれが初めてというわけでは無いのだが、こんな大きなナンに遭遇したのは初めてだ。
 「大きいでしょう、これ。私も初めて来た時ビックリしちゃって」
 含み笑いを浮かべながら律子が言った。
 「あれ、カレーはどこにあるんだ」
 ナンの大きさに度肝を抜かれていたが、肝心のカレーの器が見当たらない。
 日本人向けの配慮なのか、申し訳程度に盛られた米とナンの影から顔を出した骨付きチキンの存在にもやっと気付いた。
 「下に隠れてるんですよ、ホラ」
 律子がナンをめくるのを真似てみると、確かにその下には銀色の器があった。
 こんな大量に食べられるんだろうか、と若干尻込みしてしまったが、よく見ればナンは端に厚みがある程度で、全体はイタリアン
クラストのピザ生地よりも薄っぺらい。
 「じゃ、プロデューサー」
 「あ、ああ」
 両手を胸の前で合わせて俺を待つ律子に合わせて俺も同じようにしてから、「いただきます」をした。
 まずはナンを千切って食べてみる。パリパリした触感を噛み締めてみると、パンのように小麦粉の香りがした。
 酸味を微かに含んだ香ばしいスパイスの匂いに誘われるように次はカレーも一緒に食べた。
 「うは、結構辛いな、コレ」
 口当たりはサラサラしている。その感触に「おっ」となっていると、すぐさま唇と舌がピリリと痺れる。
 痛みになる寸前の爽やかな刺激。みるみる内に体が温まってくるようだ。
 「こっちのバターチキンカレーはなんかまろやかですよ」
 律子も、手でナンを千切ってはカレーにディップして口に運んでいる。
 スープ状のカレーから顔を出している肉もスプーンですくって口に含んでみると、羊肉の香りがして、すぐに口の中でほぐれた。
 よく煮込まれている肉のようだ。とても柔らかい。
 「美味しいな、ホントに」
 「でしょ?」
 千切っては食べ、千切っては食べを何度も何度も繰り返す。が、大きなナンは中々小さくならない。
 「ね、プロデューサー。私のも食べる?」
 律子が銀皿を少しこちら側に寄せてくれる。
 「頂こうかな。律子も俺の、食っていいぞ」
 俺も向こう側へ皿を少し押しやり、互いにスプーンを伸ばして相手のカレーを食べた。
 律子の食べていたのはバターチキンカレーだったか。若干とろみがあって、舌にもったりとした確かな重みを感じる。
 バターの濃厚な香りが口内いっぱいに広がって鼻の奥にじんと心地よい痺れが走った。
 「コクがあっていけるな、こっちのカレーも」
 「うーっ、辛い! でもこの突き抜けるような辛さ、いいですね」
 ハンカチで額の汗を拭いながら、律子は爽快感のある笑顔を見せた。
 「律子ってさ、一緒にゴハン食べてる時、いつも楽しそうだよな」
 仕事の後や収録の打ち上げで一緒に外食に行く度にいつも感じていたことだった。
 誘う時は──特に仕事中──は渋ることも多いが、いざやるべき仕事終えて連れて行ってみると楽しそうにしている。
 二人で行くにせよ、小鳥さんや他のアイドルを連れて何人かで行った時も同じだ。
 利発的な外見とは裏腹に食い意地は張っているので、ただ単に食べることが好きなだけなのかもしれないが。
 「ああ、単純に好きなんですよ、誰かと一緒に食事をするって状況が。前にも言いませんでしたっけ?」
 「……言ってたっけ、そんなこと」
 「ウチ、自営業で両親が店の方に行ってるから、小さい頃から食事は一人で取ることが多かったんですよ。鍵っ子だったし」
 「っていうと、家族であんまり食卓を囲んでないってことか。寂しくなかった?」
 律子は首を横に振った。
 「両親を尊敬してるんで、寂しいとかは考えないですね。ああ、お父さんとお母さんは凄いことやってるんだなぁ、って幼心に
 思ってましたもん」
 以前に聞いた話では、律子のお父さんは事業を打ち立てて一代で成功をおさめている、とのことだ。道を切り開く父親と、そ
 れをしっかり支える母親の背中を見て育った律子。「両親を誇りに思っている」と胸を張って話していたのを思い出した。
 その両親をして「良くできた娘」と言われる律子の家庭環境は間違いなく良好な方に入ると思われる。
 「……でもまぁ私も子供でしたから、両親と一緒にゴハン食べたいな、って思ったことはありますよ。だからですかね。誰かと
 食卓を囲む時間って好きなんですよ、大きくなってからもね」
 「なるほど、だからなのか。でも、さっき誘った時ちょっと渋ってたよな」
 「まだ仕事終わってないのにそういう話するからですよ。ちゃんとやることをやってからですね、そもそも……」
 「わ、分かった分かった」
 (あくまでも仕事優先ってことか)
 律子がチャイの注がれたグラスを手にとってクイッと傾けた。そう言えば飲んでいなかったと思い、俺もグラスを持って飲んだ。
 口当たりはミルクティーのようにまろやかで、口の中に軽い酸味とスッキリした香りが広がる。辛さに慣れた舌を休めるには丁度
いい。近くにガムシロップのポーションが置いてあるのを見ると、どうやら紅茶やコーヒー同様の飲み方をするようだ。
 舌が辛みから離れた所で骨付きのタンドリーチキンをかじると、肉は柔らかかったがカレー同様に辛かった。
 あの大きかったナンはすっかり小さくなっていた。
 

 店を出て、膨れたお腹を擦る。あの見た目からして容易に予想はついたが、中々のボリュームだった。
 ただ、男性の俺はともかく、律子までぺろりと綺麗に平らげていたのは少々気になる所ではある。
 腹ごなしにネオンサインのピカピカ光る商店街を少々散歩してから、コインパーキングに戻って車に乗り込んだ。
 車を発進させ、眩しい駅前の商店街を通り過ぎて、広い道路へ出る。
 「あの店、よかったな。美味しいし、ちょっと怪しげな雰囲気もなんだか気に入ったよ」
 「ん、そうですか? 私も好きですね、あのエスニックな空間。日頃ビル街ばっかり歩いてるから」
 「今度機会があったら別の人も連れてこようか」
 「真なんかいいんじゃないですか? あの子、辛いの好きそうだし」
 そんなことを話しながら、ふと信号待ちの時に左を向いてみると、律子の頬に何かついていた。
 何だったんだろうと確認しようと思ったら、もう信号が青になってしまっていた。
 後ろの車に煽られない内にアクセルを踏む。
 「真を連れて行くんなら、スケジュール合わせとかしておかなくっちゃな」
 「そうですね……あ、プロデューサー。昨日の仕事のことなんですけど」
 「ん、なんだ?」
 また赤信号に捕まり、律子の顔をもう一度確認してみる。
 街灯からの角度が悪くてよく見えないが、若干黄色っぽいものが見える。















 「最近はプロデューサー殿の仕事も安心して見てられると思ってたんですが、書類にミス、ありましたよ。細かいですけど、こう
 いうのも無くしてもらわないと困……って、ニヤついてないで真面目に──」
 「くくっ……律子、カレーついてる」
 口元にカレーの残りがついているのに真顔で話しているのが可笑しくて、笑いをこらえるのに必死だった。
 噴出しそうになるのを我慢しながら律子に伝えると、律子は大慌てでバッグの中から手鏡を取り出した。
 「ああああっ、ホントについてる! やだ、どうして言ってくれないのよ、もう!」
 ハンカチを取り出して即座に拭き取ると、一拭いで綺麗になったはずの頬を何度もゴシゴシ拭いていた。
 「プロデューサー、ずっと黙ってたんですか!? 人が悪すぎますよ!」
 「いや、本当に今の今まで気付かなかったんだよ、ホントだってば」
 顔を真っ赤にして抗議の目線を全力でぶつけてくる姿が、なんだか可愛かった。
 一緒に仕事をしていると律子が高校生だというのを忘れてしまいそうになるが、久しぶりに歳相応な姿を見たような気がする。
 学校の友達の前での律子はどんな様子なのだろうとちょっと気にかかり、さっきのことを思い出し、苛立ちがチリッと胸の奥を
焼いたような気がした。
 ──いったいなんだっていうんだ。心がモヤモヤする。
 「あぁもう、なんで私自分で気付かなかったんだろ……恥ずかしい」
 しかし、隣の席で頭を抱えて恥ずかしがっている律子を眺めていたら、それはごく矮小な問題のように思えた。
 覚えのあるような気がする不快な感情は、すぐに消えて行った。
 それっきり、律子の家に辿り着くまで彼女は窓の外を見たっきりこちらを見ようともせず、だんまりを決め込んでいた。
 「耳、赤くなってるぞ」
 律子に指摘しようとしたが、それは敢えて言わない方が面白いと思った。


 終わり



―後書き―
某所に小ネタで書いたものの書き直し的な何か。
ちなみにガンディーは船橋駅近辺に実在します。美味しいよ^^