SIDE-A "hug"




 
 「お疲れ、亜美」
 「おっつー! ソロのお仕事は久しぶりだったね」
 楽屋に戻ってきた亜美と、お決まりの挨拶を交わす。一仕事終えた後のサッパリした亜美の笑顔に、一日の
終わりが近づいていることを俺も実感し始めていた。

 俺が芸能事務所のプロデューサーになってから、四年ぐらい経っただろうか。分からないことだらけだった
新人の頃から面倒を見ている双子の女の子も、小学生のお子様だったのが今や花盛りの高校生。双海亜美とい
う一人のアイドルを二人でこなして来たが、活動一年半ほどを過ごした辺りで真美の存在をカミングアウト。
双子アイドルのデュオとして再デビューしてからは前にも増してファンの数も増え、仕事は順調だ。亜美も真
美も、芸能界を遊び場としか思っていなかった昔から比べると随分プロらしい顔つきになってきた。やる時は
やる、遊ぶ時は遊ぶ。そんなスイッチの切り替えがしっかりできている二人を見ると俺は誇らしかった。
 真美も一緒に表舞台へ上がるようになってからはほとんどの仕事を二人で一緒にやってきたが、今では片方
だけがゲストで呼ばれたりすることもある。亜美と真美、二人セットで一つのアイドルユニットでは無く、そ
れぞれ個人のキャラクターが認められつつある証拠だった。

 今日は、亜美一人がトーク番組のゲストに招かれて、真美は別の局でドキュメンタリー番組のゲストに呼ば
れていた……が、二人の面倒を見るプロデューサーは俺一人だ。俺には双子の兄弟がいるわけでもなければ忍
者よろしく分身の術が使えるわけでもなく、額に人差指を当ててパッと瞬間移動、なんて漫画みたいなことも
できない。こんな時は誰かに代役を任せるしか無いわけだが、その辺りにはあてがある。765プロの同僚に代
行をお願いしてもいいし、もし手が空かないようなら、765プロの子会社を立てて独立していった秋月律子プ
ロデューサーに任せることだってできる。多少の無理を言っても上手くやってくれるのだから心強いことこの
上ない。同僚の忙しかった今日は真美の仕事を律子に頼んでおいたが、元々仲もいいし、律子自身の実績も確
かなものがあるから、心配はするだけ無駄というものだろう。

 缶コーヒーを飲みながら昔のことを思い出していると、着替え終わった亜美が戻ってきた。細めのパーカー
はスリムな体型をうっすらと浮かび上がらせ、七分丈のカーゴパンツからは白い脚が覗き、明るい色のスニー
カーとのコントラストが足元で目立つ。身軽な服装を好む亜美らしい格好だ。肩の下まで伸ばした髪は、ヘア
ゴムで一本のポニーテールにまとめられていた。こちらに歩み寄ってくる足の動きに合わせて、筆のように垂
れた髪がふさふさ揺れる。
 「ねぇ兄ちゃん、やっぱり髪切っちゃダメ? 首筋が暑いんだよね、下ろすと」
 「んー、髪を切るとなると真美も一緒にやらなきゃマズいからな。テレビとかに出る時は二人で同じヘアス
タイルと同じ服装にするって方針だから……まぁ、気持ちは分かるんだが、これも仕事だ」
 「真美は髪を上げるとうなじがスースーして寒いって言ってるんだけど……面白いよね、双子なのに」
 まったくだな、と相槌を打ちながら、忘れ物を確認して楽屋を後にする。顔立ちは同じでもやはり亜美と真
美は違う人間同士だと実感するのはこんな時だ。時を経るに連れて、二人の振る舞いや嗜好にも様々な違いが
見られるようになってきた。明るくて素直、ポジティブで活発、という性格のベースは二人とも同じで今にな
っても変わらないのだが、亜美はどこかボーイッシュなさっぱりした面を、真美は落ち着きが出てきて年齢の
割には大人っぽい面を見せるようになっていた。同じ長さの髪の毛も、亜美はテレビに出る時以外は大体ポニ
ーテールを揺らしているし、逆に真美は、下ろした髪をいつも風になびかせている。


 「兄ちゃん、今日まだ時間あるっしょ?」
 テレビ局の駐車場に停めた車、その助手席でシートベルトを締めながら亜美が言った。一時期は真美に倣っ
て亜美も俺のことをプロデューサーと呼ぼうとしていたが、昔の癖が抜けずに結局諦めてしまったらしい。も
っとも、俺も俺で二人のことを昔から変わらず妹みたいに思っているので、こう呼ばれるのも嬉しいのだが。 
 「時間……そうだな。もうこんな時期だから真っ暗だけど、まだ七時なんだな」
 「ちょっと遊んで行こうよ。ボーリングとか行きたいな、ボーリング」
 「ん……こっからだとラウンド1が割と近場だな。行くか」
 赤信号で停車している間にカーナビを操作して、目的地をセットする。隣にいる亜美のテンションが上がっ
たのが感じられ、仕事帰りで気だるさすら漂いそうな車内にパッと花が咲いたようだった。

 『お次のリクエストは大阪府"イズミ"さんからのリクエストで、菊地真のヒットナンバーです』
 車を再発進させるとほぼ同時に、ラジオから耳慣れたイントロが流れ始めた。シャワーの水音に混じったチ
ャイムの音。パーソナリティの言葉から真の名前が聞こえた瞬間にぴくりと肩を震わせた亜美が、思った通り
だと得意気に口元を釣り上げて笑った。
 「やっぱりエージェントだ」
 「亜美と真美もカバーしたよな、この曲」
 「あの頃は"とかしつくして"が上手く発音できなかったんだよね」
 「結果的にはそれが大ウケだったんだけどな。どうだ、今はできるか?」
 「できるに決まってるじゃん。アタシだってもう舌っ足らずの子どもじゃないんだから」
 そう言って、拍子を取りながら、ラジオから流れてくる真の歌声とユニゾンして亜美が歌い始めた。昔とは
比較にならないほど上がった歌唱力と表現力。どことなく妖しさを乗せながらも伸びやかなボーカルが狭い車
内に響く。
 「あーなーた だけが使えるテークニックで……」
 とかちつくちて。
 あんなに上手く歌えていたのに、そこだけが言えていなかった。頭の中で二、三度巻き戻して再生してみて
も、やっぱり"し"では無くて"ち"だった。
 「どうよ、カンペキだったっしょ」
 曲が終わり、亜美が誇らしげに胸を張った。
 「いや、"とかち"になってたぞ……くくっ……」
 「そんなこと無いよ! 絶対"とかし"になってたって!」
 含み笑いを抑えきれない俺に口を尖らせる亜美。「兄ちゃんが"とかち"ばっかり考えてるからだよ」と膨ら
ませた頬がなんだか可愛い。

 「……エージェント聞いて思い出したんだけどさ、ちょっと真に似てきたよな、亜美は」
 「そう? アタシは髪もそれなりに長いし、自分のこと"ボク"なんて言ったりしないよ?」
 「雰囲気が、ってことだよ。見た目はバッチリ女の子だけど、どことなく中性的な香りがする。女の子から
のファンレターも亜美の方が多いだろ?」
 「んー……言われてみれば確かに……学校でも女の子からラブレター貰ったし……」
 「女の子から?」
 「うん、男の子からも告られたことあるんだけど、断っちゃった。よく知らない人だったからさ」
 「そうか。どっちからもモテるんだな、亜美は」
 「まぁ、アタシらみたいなアイドルってさ、スキャンダルも警戒しなきゃいけないじゃん? 人気を落とす
のはイヤだし、なんかあったら色んな人にメーワクかかっちゃうってことぐらい分かるからさ」
 子どもだとばっかり思っていたけれど、亜美だってもう十六歳の高校生、青春真っ盛りだ。ファンにとって
の偶像であるアイドルに生々しい話題はご法度。所属タレントには恋愛禁止を義務付けている事務所も多いと
聞く。ただ、人間の心をルールで縛るなんて不可能だと思う。変にそんなことをしても、却って輝きをくすま
せる結果を招きかねない。
 「彼氏、欲しいって思うか?」
 ふと気になって、亜美にそんなことを尋ねてみた。チラリと横を振り向いてみると、亜美はどこを見ている
やら、ボンネットの向こう側にぼんやりと目を向けていた。カーステレオの重低音を唸らせながら、後ろから
走ってきた真っ黒なステーションワゴンが俺たちの車を追い抜いていく。
 「……ううん、いらないや」
 ワンテンポ空白を置いてから、亜美は首を横に振った。体を動かす度に言葉が勝手に出てくる亜美が、喉に
何か詰まってしまったかのようにぽつりと一言発しただけだったのが、少し気にかかった。
 窓の外では、対向車線に車がごった返していた。


 「おりゃあああああ」
 ゲームコーナーに響き渡るような亜美の絶叫と共に、皮のグローブに包まれた亜美の拳が勢い良くパンチン
グマシーンにぶつかって、皮同士が弾け合い、激突音がした。
 「くぁー、72かぁ」
 コンソールに表示された数値を見て、亜美がガックリと肩を落とした。
 「まぁ、女の子としちゃ高い方なんじゃないか? マシンによって基準がバラバラだから何とも言えんが」
 「でもさー、兄ちゃんは150とか出してたじゃん。アタシは兄ちゃんの半分の力しかないワケ?」
 亜美の目はいかにも不満そうだ。
 「いいじゃないか。亜美は女の子なんだから」
 「あ、そうだ。真美と一緒にパンチすれば力も二倍……って、それでも足りないよー!」
 意気揚々とボーリング場に到着したのはいいものの、レーンには他の客が溢れていた。数十分単位の待ち時
間の表記を見てげんなりしてしまった俺と亜美は、近場のフードコートで夕食を取ってから、鬱憤を晴らすよ
うにゲームコーナーで遊んでいた。プライズゲームでうまい棒の30本セットを取ってムシャムシャ食べたり、
エアホッケーでガチンコバトルを繰り広げたりと、少年のごとき活発さで遊びまわる亜美に釣られて、俺も童
心に返った気分になって楽しんでいた。こういった場に来ると大人しくしていることの多い真美がいない分、
ついつい俺も熱がこもってしまったような気がする。雄叫びをあげてパンチングマシーンに殴りかかる女子高
生という中々に珍しいものも見られたことだし、ボーリングをするよりもむしろこっちの方が楽しいような気
がしていた。

 腕時計を見ると、もうそろそろ引き上げ時、といった頃合だった。車で送っていけるとはいえ、まだ高校生
の女の子である亜美の帰りが遅くては親御さんも心配してしまう。「そろそろ帰ろうか」と、亜美に呼びかけ
ようとすると、どうやら亜美はそれを察していたらしい。
 「ね、最後に撮ってこうよ」
 帰る前にもう一つ、とプリクラの筐体を指差しながら亜美が俺のスーツの裾をぐいぐい引っ張り、ウンとも
スンとも言わないまま強引にゴムカーテンの中に連れ込まれた。
 「そういえば、初めてだな、亜美と二人で撮るのって」
 一緒に遊ぶ機会があればかなり頻繁に撮ったプリクラは、いずれも三人で撮ったものだ。二人から分けても
らっている内に随分と溜まってしまった。亜美と真美のファンでもある我が身としては嬉しいコレクションだ。
 「だからだよ。滅多に無いじゃん、兄ちゃんと二人って」
 俺の方を振り向きながら、ロード時間がじれったいとばかりにボタンを連打する亜美。ようやく撮影準備の
アナウンスがスピーカーから流れ出すと、少し屈むように促された。
 そのまま顔の高さを合わせて、パシャッと一枚。瞳孔の奥に飛び込んでくる光がひたすら眩しい。
 二枚目の撮影に入ろうかという瞬間、体を起こした俺の首に亜美の両腕が巻きついてきた。
 「えっ、亜美!?」
 「兄ちゃん、カメラの方見てっ!」
 咄嗟のことに驚く間もなく、シャッター音と共に視界が白くフラッシュした。
 「今度は兄ちゃんも腕回してきて」
 待ってくれない筐体のアナウンスと急かすような亜美の言葉に言われるまま従って思わず亜美の腰に腕を回
すと、柔らかな女性の肉体がぴったりと密着してきた。俺を見上げる亜美と一瞬視線が合う。
 「ほら、カメラ目線だよ、兄ちゃん」
 俺が右を振り向いたその時、丁度シャッターが俺と亜美の姿を捉えた。『お疲れ様でした』のアナウンスが
聞こえた所で、慌しい展開に感じ取ることを忘れていた照れ臭さが足の底から登って来る。
 「あ、亜美っ、なんだよいきなり」
 体を離そうとして亜美の肩を押さえると、首筋から背中に下りてきた亜美の腕が俺の体を締め付けた。正面
に回ってきた亜美が、胸に顔を埋めるようにして俺に抱きついてくる。
 「いいじゃん、たまにはさ。折角真美もいなくて二人っきりなんだし……」
 甘えるような声でそう言って、亜美が上目遣いで俺をじっと見た。大きな瞳が潤んでいる。
 「男の人のカラダって……ゴツゴツしてるよね」
 小学生だった頃ならば、抱きつかれた所で『可愛い奴だな』と微笑ましく済ませていただろう。ただ、今で
はあまりに事情が違い過ぎる。男性的な爽やかさを併せ持っているとは言え、顔立ち美しく成長した亜美が日
頃の芸能活動で培った表現力を十二分に活用して女性らしさを発揮している。只事ではない。ふわっと香るシ
ャンプーの香りと、鳩尾の辺りに押し付けられる形容しがたい柔らかさに、布地越しでも伝わってくる生命の
ぬくもり。その要素一つ一つは、子どもだと思っていた亜美の『女』を強く意識させるもので、ドクドクと力
強く脈動する心臓がスピードを上げていく。思い切り抱きしめて、体から立ち上るいい匂いを胸いっぱいに吸
い込みたい衝動に駆られ、「己の立場をわきまえろ」と一心に念じたものの、ゴムのカーテン一枚で外と隔て
られた空間に篭った熱の激しさに、頭がクラクラするばかりだった。
 『デコレーションしてね』という底抜けに明るいアナウンスの音声が聞こえた所で、亜美が目を伏せた。
 「……落書き、してくるね」
 名残惜しそうに、するりと細い腕が抜けていく。曲線的なラインの体がカーテンの向こうに消えていった。
 一人取り残された直方体の空間には、まだ亜美の残り香が漂っていた。











 「はい、コレ」
 車に戻ってから、切り分けられたプリクラを手渡された。いつも通り、俺の顔の横には兄(C)と書いてある。
男の周りにハートが散りばめられている光景はどうなんだろうと思うが、そのことに突っ込むのを辞めたのも
昔のことだ。亜美が満足気な笑顔を浮かべているのだから、そんなのは些細なことだった。
 「トップシークレットでヨロ、だよ。真美にも内緒だからね」
 いそいそとプリクラを手帳にカバー裏に隠しながら、亜美が言った。
 「さっきのアレだけどさ……」
 「うん?」
 「ほら、昔は兄ちゃんにベタベタ甘えてたじゃん? あの頃を思い出して、ちょっとスキンシップを取りた
くなっちゃったっていうかさ」
 スキンシップと言えば確かにそうだが、あれほど心臓に悪いスキンシップも無い、と思う。危ない所だった。
 「そんだけ……そう。そんだけだよ」
 わざとらしいぐらいキッパリとそう言い切ってから、亜美は助手席の窓に視線を移した。耳たぶまで真赤に
して、亜美は何を思うのだろうか。知りたかったが、それ以上は語ってくれなかった。
 無言で夜の道路を走る車内が息苦しく感じられて、俺は運転席の窓をほんの少しだけ開けた。


 終わり




―後書き―

大人になった亜美真美(16じゃまだ大人じゃないけど)を想像して書いてみたSSでした。
一人称はさすがに変わってるんじゃないかなぁ、と思いつつも変えてみたり。亜美は20代に差し掛かってよ
うやく落ち着きが出てくるんじゃないかなぁ、とそんな気がします。恋愛に関しては、同じ人を好きになった
ことに気付いたら亜美真美は互いに気を遣ってしまって、進展することには消極的になるんじゃないかなぁ……
というのが個人的見解。


追記:4.5コマ漫画の人が素敵過ぎなイラストを描いてくれたんで、図々しくも頂いてきました。
この場を借りてお礼申し上げます。