dress up


 「律子、これを見てくれ」
 太陽が一日で最も高くなる頃のミーティングで、プロデューサーが一冊のカタログを取り出した。何枚か貼
り付けてある付箋に従って開いたそれに写っていたのは、パーティードレスに身を包んだ女性達だった。肩や
背中を剥き出しにして、女の私でもドキッとしてしまいそうな色気をカタログの外まで漂わせている。憧憬の
思いが、私の胸の内をくすぐった。
 「綺麗なドレスだと思いますけど、これがどうかしたんですか?」
 私が尋ねると、プロデューサーは軽く目を閉じて深呼吸した。
 「……次にリリースするCDのジャケットで、それを着てみないか?」
 「ええっ!?」
 こんなにきらびやかなドレスを、私が? 自分には全く関係の無い世界の衣装だろうと今この瞬間でも思っ
ているこれを、私が着て撮影をすると、つまりはそういうことなんですか。
 「嫌ですよ、こんなに露出が高いのなんて!」
 私の脳裏に、デビューして間もない頃にやった水着姿での写真撮影のことや、真夏の水泳大会での悪夢のよ
うな一時が甦る。せっかく人気が上がってきて、体を晒してまで媚を売らなくてもやっていけるようになって
きたというのに、プロデューサーはまたあの時間を私に味合わせるつもりらしい。声を荒げて抗議すると、彼
は私の反応を見越していたのか、背もたれに寄りかかっていた体を前のめりにさせた。
 「まぁ、落ち着いて聞け、律子」
 「落ち着くも何も無いですよ。駆け出しの頃みたいなことはもうやらなくて済むって思ってたのに」
 カチカチとボールペンを鳴らしながらわざと棘を含ませた返事をすると、プロデューサーはやれやれと言っ
た顔でゆっくりと口を開いた。
 「律子のイメージもすっかり定着して、一定の人気を維持できるようになってきた。ゴールデンのクイズ番
組でレギュラー枠を貰ってるぐらいだ、人気のアイドルというには十分だと思う。ただ……」
 「ただ?」
 「……律子は、現状に満足してるか?」
 彼の眼差しは真剣なものだった。その鋭さに思わず視線を逸らし、机の上で組まれた両手へと落とす。
 「満足は……してませんね」
 「人気が安定してきてはいるのはいいことなんだが、少々変化に乏しくなってきていると思うんだ。ここら
で一発、ドカンと注目を集める起爆剤が欲しい。何も今の方向性をガラリと変えようって言ってるんじゃない
んだ。あの律ちゃんにはこんな一面もあったのかと人々を驚かせる花火を打ち上げたいってわけだ」
 言われれば、心当たりは確かにある。レギュラー番組を持つようになり、一定の周期で仕事が回ってくるよ
うにがなった。しかし、
 「安定しているということは、新鮮さが不足している……と」
 そういうことになる、と続きはプロデューサーの口から紡がれた。
 「どうだ、律子、やってみないか?」
 「冒険ではあると思いますけど、うん、確かに……」
 再び、手元で開かれたままのカタログを眺める。写っている女性達は、経験豊富なモデルなんだろうか。そ
の表情には自らの容姿やスタイル──自分を見せること──に対する自信が窺えるようだ。
 「……でも」
 クセッ毛を誤魔化すようなお下げの髪に、眼鏡。テレビのトークで、ファンレターで、勝てなかったことだ
って沢山あるオーディションの場で審査員から……暗に地味さをつつかれたことも少なくない私がこんなきら
びやかなドレスに釣り合うとは、思えなかった。モデルと同じ格好をしても滑稽に写ってしまいそうで、カタ
ログに載っている女性達の美しさを際立たせるだけなんじゃないか──そんな不安が込み上げる。
 「私が着ても、似合わないかも……レンタル料とかも高いだろうし、別のにした方がいいんじゃ……」
 自分には無理だ。恥ずかしい、というよりも自信が持てない。臆病で弱虫な私がちらりと顔を覗かせると、
 「やってみなきゃ分からないことだってあるさ。無理だ無理だって弱腰になってた武道館でのライブだって
大成功に終わったじゃないか」
 プロデューサーはハッキリと、力強い口調でそう言った。
 「そ、それは……まぁ、そうですけど」
 「確実とは言い切れないが、分の悪い賭けではないと思うんだ。騙されたと思ってやってみてくれないか」
 写真の一枚。ということは、全ての注意が静止した私の容姿に向けられることになる。歌とダンス、パフォ
ーマンスで一つの要素にかかる比重を下げられるリアルタイムのコンサートとは違う。
 「……それなら……やってみます」
 しかし、そんな釈然としない思いを抱えながらも、私は首を縦に振ってしまった。


 ダイエットをしようか、スキンケアの道具を変えてみようか、などとあれこれやろうとしてはみたものの、
頭の中でまとまらない考えがぐるぐる回るだけに終始してしまい、写真撮影の当日は無常なほど駆け足にやっ
てきてしまった。結局、今日も髪は結ったままだ。
 現地集合で撮影スタジオに入って楽屋へ向かうと、そこには既にスタイリストの女性が待機していた。
 「おはようございます、秋月律子です。本日は宜しくお願いします」
 何を言うよりも先に、まずはしっかり頭を下げて挨拶する。この仕事をするようになってから、すっかり体
に染み付いてしまった。
 こちらこそ宜しくお願いします、と返してくる、長くてサラサラしたストレートの黒髪が印象的なスタイリ
ストの女性──山本さんというらしい──は、挨拶を済ませるなりおもむろにカーテンをめくって、吊るされ
た何着かのドレスと私とを交互に見た。
 「テレビでよく見てたんですけど、秋月さんは明るい色の衣装を着てらっしゃることが多いですよね」
 「ええ、そうですけど。赤とかピンクとか、確かにステージの上で着てるのは暖色の方が多いです」
 薔薇のような真紅のドレスが、私の目に留まった。
 「今日はその明るいイメージからちょっと離れて……これなんてどうでしょう?」
 ハンガーから外して差し出されたのは、シックな色合いの焦げ茶色のドレスだった。背中の大きく開いたデ
ザインで、首の後ろから回した細いリボンを胸元で結ぶ仕組みになっているようだ。
 「こっ、これですか?」
 思わずどもってしまった。
 「ええ、今までの資料をプロデューサーの方から事前に見せて頂いていたんですが、こういう落ち着いた色
合いのもので持ち前の聡明さを損なわないようにしつつ、学級委員長タイプで固いと見られることもある秋月
さんにだって、実は大人っぽいセクシーな一面があるんだぞ、というのがいいかと思いまして」
 「せ、セクシー、ですか!?」
 自分とはあまりに結びつかないその言葉は、私に向けられているにも関わらず、なんだか他人事のように響
いた。固いと言われたことなんて、気にもならない。山本さんは澄んだ眼差しで柔らかい笑みを浮かべている
が、その語調はいたって真面目だった。
 「そんな意外そうな顔をなさらなくても。女盛りのお年頃なんですから」
 「……それは、年のことだけを言えばそうはなりますけど」
 しかし、口ではそう言いながらも、私の視線はドレスの方に向いていた。光沢の無いはずの布地は、真っ白
な壁が反射する蛍光灯の光を吸収して、静かな存在感を発しながら私を誘っているように見えた。カタログの
モデルを見た時に感じた、女ならば誰もが抱くであろう「キレイになることへの憧れ」や「美しくなった自分
を空想する気持ち」が私の中で膨らんでいく。
 「ともかく……思い切って殻を脱ぎ捨ててみませんか?」
 「わ……分かりました」
 山本さんの言葉に頷くと、躊躇する気持ちはゆっくりと退いていった。


 ほどいた髪にヘアアイロンを当ててもらい、まっすぐになったそれが肩に優しく降り立った。メイクのため
に外した眼鏡のせいで、目の前に鏡があっても自分の姿すら視界にはっきり映らない。ブラシやスポンジ、様
々な化粧道具が顔に行き来するのと、時々香る山本さんの甘いコロンの匂いは、分かる。
 「ベースはできあがりましたので、あちらでドレスの方を着て頂いてよろしいですか? 分からなかったら
お呼び下さい。あ、そうそう。今回はこちらの眼鏡をお使いになってください」
 手渡された眼鏡はいつものものと違っていたが、かけてみると度はしっかり合っていた。指先で質感を確か
めてみると、フレームの無いレンズに、細い弦。
 ──眼鏡も、違うんだ。このデザインだと、目が強調されることになりそう……
 いったい、ドレスを身にまとってメイクも完成したら、私はどんな姿になるんだろう。まだくすぶっている
不安を押しのけて、好奇心が爪先から立ち上ってくる。
 「そっか、背中を出すから上半身はつけないのか……だ、大胆だなぁ。ええと、これをこうして……」
 鏡の無い間に合わせのフィッティングルームで、慣れない作りの服に苦戦しながらリボンを結び、根元にレ
ースをあしらったグローブもはめて、どうにかこうにか形だけは着られたかと思って外に出てみると、山本さ
んが大きな瞳を更に見開いて、一面の花畑に連れて来られた少女のようにぱっと明るい表情になった。
 「いいじゃないですかっ! ささ、メイクの方も仕上げちゃいましょう!」
 冷静な人だという印象だった山本さんが、興奮した様子で拳を握り締めている。早く早くと言わんばかりに
促されて化粧台の前に座って、眼鏡を再び外す。出来上がりの姿は、どうやらまだお預けのようだ。
 「素敵ですよ、とても。元々肌も綺麗ですし、睫毛も長くて……素材がいいから、メイクも際立ちますよ」
 「そ、素材……ですか」
 「ええ、そうですよ。暗めの色を合わせることで、ボディラインの良さも活かせるはずです」
 自信満々に山本さんはそう答えた。こそばゆいような気持ちになる反面、卑屈な思いが湧いて出る。
 私より素材のいい人なんて、いくらでもいるのに。きっと、そういう人をきちんと磨いたら、「当社比」と
CMで比較される旧製品のように、私なんて引き立て役にしかならないんじゃないでしょうか。
 言おうと思ったけれど、せっかくてきぱきと丁寧に仕事をこなしてくれている人に水を注すようなことをす
るのは、さすがに気が引けた。また、こんな本音だからこそ、話す人もなるべく選びたい。
 「出来ましたよ、秋月さん。目を開けて下さい」
 「はい……えっ?」
 眼鏡をかけてもらい、鏡に映っている女性の姿を見ると、思わず私は間の抜けた声を出してしまった。そこ
にいたのは、紛れも無く私、のはずなのだけど。
 「これが、私……」
 鏡の中の私は、呆気に取られている。まるで別人のように変身した自らの姿を見た時、私の頭の中には、ス
テージで着る衣装に初めて袖を通したときの気持ちが色鮮やかにフラッシュバックした。ちょっと油断したら
中が見えてしまいそうなぐらいにスカートは短いし、胸元はさりげなくきわどいし、自分には似合わないんじ
ゃないかとばかり思っていた、可愛らしい衣装……でも、実際衣装を身に着けて、鏡に映った自分の姿を見た
時、その場で踊り出したいような気持ちになったっけ。
 潤った瞳で満足げに笑いながら、山本さんの視線が私の頭から爪先までを二周した。素敵ですよ、というそ
の響きに、ムズ痒い照れが全身に走る。鏡の前でくるくる回って全身の様子を確かめたり、カメラの視線を意
識して表情を作ってみたりしていると、ノックの音が控えめに鳴った。


 丁度入り口近くにある鏡台の前にいた私がドアを開くと、そこには見慣れた顔がいた。
 「ええと、そろそろ時間なん──」
 腕時計に注がれていた視線を移して私の顔を見るなり、プロデューサーは口を半開きにしたまま硬直した。
 ブレーカーが落ちたように固まっていたプロデューサーは、三秒ほどしてから電池を取り替えたように動き
出し、私から視線を外して咳払いをした。
 「な、なんですか」
 「いや、よ、予想外だったからつい言葉を失っちまってな」
 私をちらりちらりと見ながら、彼の目が空中を泳ぎまわる。
 「予想外って……期待外れだったってことですか?」
 「違うよ。なんていうか……」
 うつむいて、プロデューサーが一呼吸分押し黙った。
 本音を言っちゃうけど、怒るなよ。そう彼は前置きをしてから、視線を私の目に合わせた。
 「キレイだよ、すごく。こうして目の前にいると、吸い込まれちまいそうで……CDのジャケットに使っちゃ
うのが勿体無いぐらいだよ」
 どきり。いつもなら不快感が先に立つプロデューサーの褒め言葉に、鼓動が音を立てた。熱くなった血が首
の上へじんわりと上ってくる。
 「……お、俺は先に行ってるから、あんまり遅くならないように気をつけてくれよ」
 「あ、はい……」
 私の返事も聞かない内に、早口で用件だけを伝えて、プロデューサーはそそくさと背を向けて廊下の向こう
へ走り去ってしまった。小さくなっていくその後姿からは、赤くなった耳がちらりと見えた。
 「意外と可愛らしいリアクションをされる方なんですね、プロデューサーさん」
 声のした方を向いて楽屋の中を見てみると、私と彼のやり取りをドアの陰から見ていたらしい山本さんが、
吊り上げた唇と一緒に目を細めていた。
 「ふふっ……そうなんですよね」
 もしカメラを持っていたら、プロデューサーに一枚ぐらい撮らせてあげてもいいかな。
 思わず込み上げる笑いを手で隠しつつ、私は頬に残る熱と、胸の内に残るドキドキの余韻を楽しんでいた。


 終わり



―後書き―

MS2の律子の格好は、P発案か律子発案か、というレスの内容に乗っかって唐突に書き始めたSSでした。
ロクに推敲してなかったから色々穴があったんで細々と修正。
「真面目な委員長が一肌脱いだら実は凄かった!」的なのが書きたかったってのもあるんですが、変身
願望のよく似合うキャラですよね、律子は。
ドレスによくある、肩の辺りまで続いてる手袋みたいなのは、やっぱりグローブで合ってるみたいです。
グローブって感じしないけど。