仮眠室の扉


 「真、ここにいたのか。ミーティングするぞ……って、あれ」
 ホワイトボードの菊地真の欄が『出社』になっていたのは確認したが、一体どこに行ったのか、と思ってい
たら、応接室のソファーで横になって寝息を立てていた。
 夕方からの仕事を控えて事前にミーティングを行おうと思っていたのだが、最近のみっちり詰まったスケジ
ュールを考えると、真の疲労もだいぶ溜まっているはずだ。このまま寝かしておいた方がいいのかも……さて
どうするかと思案しながら、腰を下ろして真の寝顔に目線を合わせる。
 「すー……すー……」
 仰向けになって、右手をソファーからだらんと垂らしたままで眠る真の姿はまるで男のようだが、その安ら
かで気の抜けた表情は年頃の女の子らしいあどけなさがある。父親から男のように育てられてきた影響でデビ
ュー当時はまるで少年のような印象の真だったが、アイドルとして活動を続けるにつれて女の子らしさもうっ
すらと滲ませるようになってきたと思う。ボーイッシュでありながら乙女な一面も見せる、中性的な美少女。
最近の真をそのように感じるのが俺だけでは無いということは、男性から送られてくることも多くなってきた
ファンレターの数を見れば明らかだ。
 ミーティングは今日で無くてもいいか。そう結論づけて夕方まで真をこのまま寝かせておいてあげようかと
思ったが、師走も目の前に迫ったこの季節では、いかに空調の行き届いた建物の中とはいえ体を冷やしてしま
いかねない。
 「確か、仮眠室は空いてたよな……よし」
 もう一度、真の可愛らしい寝顔を覗き込む。熟睡していることを確かめて、深呼吸を一つ。
 「よっ……あれ? おっとと……」
 思い切って背中と太腿の裏へ掌を滑り込ませ、そのまま一気に体を持ち上げると、思いの外軽い体重にバラ
ンスを崩しかけてしまった。あの細さとはいえ、日頃のトレーニングで筋肉もついて重たくなっているはずだ
と思っていただけに、この軽さは予想外だった。
 「ん……っ」
 真の声が聞こえたような気がして、ソファーの前でぴたりと俺の体が止まった。起こしてしまったかもしれ
ない。寒いから運ぼうと思い立ったはいいが、いわゆるお姫様抱っこの体勢だ。起きたら真が何と言うか……。
 「……ふぅ、目は覚ましていないようだな」
 じっとして真を観察してみると、閉じられたままの瞳が開かれる気配は無い。長い睫毛も、上下で仲良く絡
み合ったままだった。
 毛布を持ってくればそれで済んだかもしれないが、持ち上げてしまったからには運んでしまうことに決めた。
 そのまま寝ていてくれよ、と念じつつ、なるべく上下動が少なくなるように注意して一歩を踏み出した。

 ソファーの上では冷えてしまうから、暖かい布団のある仮眠室へ運ぶ。ただそれだけのことであって、仮眠
室へ連れ込んで担当アイドルにあんなことやこんなことを……なんてやましいことは考えていないはずだが、
廊下を歩いている時は強烈な後ろめたさのようなものと緊張感にヒヤヒヤしっぱなしだった。
 女性の体特有の柔らかさや、服の生地越しに伝わってくる温もり、爽やかさを感じさせるミントのような香
りに、感じてはならない胸の高鳴りを自覚しつつ、仮眠室の扉を開いて中へ。
 いざ真の体をベッドの上へ下ろそうか、という所で、閉じられていた瞳がすっと開かれた。
 「え……ぷっ、プロ……えっ、え?」
 自分の体が置かれた状況をすぐに察したのか、カッと目を見開き、真がどぎまぎして周囲を見回す。
 俺に横抱きに抱えられていることに気が付くと、真の白かった頬が燃え上がるように赤くなっていった。
 「わっ……! ボ、ボク、プロデューサーに抱っこされて、ベッドに……えぇっ、ど、どうしよう……!」
 「す、すまん。ミーティングやろうと思って探してたんだが、ソファーの上で寝てたからさ。風邪引くと思
って運んできたんだが、起こした方が良かったよな?」
 変な気を起こして真をベッドに運んできたのではないのだ。そう自分に言い聞かせるかのように、つとめて
冷静に言ってみせたが、内心では全く落ち着けていなかった。
 「な、なんだ……違ったのか。てっきりプロデューサーがボクに……って、あぁ、何でも無いんですっ」
 ベッドに真の体を下ろしたはいいものの、当の真は、トマトみたいに真赤になってぶんぶん顔を横に振って
いる。
 変な誤解をされてしまったかな。誤解の内容が想像できてしまい、そのことに罪悪感が込み上げてくる。
 汗をかくような気温でもないのに、背中に汗が伝うのを感じた。
 「えー……と。今日のミーティングは無しだ。夕方になったらラジオ局に行くから、それまでゆっくり体を
休めておいてくれ」
 「はい。……あの、プロデューサー。ボク、重くありませんでしたか?」
 「いや、体を鍛えてるから、と思ってたんだが、軽くてビックリしたぐらいだ。やっぱり女の子なんだな」
 「あっ、は、はい……」
 被せた布団で鼻まで覆うようにして、真が表情を隠した。照れる仕草もストレートなのが真らしい。
 「……じゃあ、夕方になったら起こしに来るから」
 これ以上ここにいたら本当に変な気を起こしてしまいそうだ。半ば強引に立ち上がってドアの方へ向き直る。
 「……あ、プロデューサー」
 背後から聞こえる声に首だけ振り向くと、横たわった真はこちらに顔を向けていた。
 「結構、気分良かったです……お姫様抱っこ。もしイヤじゃなかったら、また今度……その、して欲しいな」
 「……す、少しだけなら、な」
 酒にでも酔ったかのような真の口調に、思わずどもってしまった。腕の中に真の体の柔らかな感触や体温が
甦って来る。鼻から空気を吸い込むと、気道の中には、まだミントのような爽やかな香りが残っているような
気さえした。
 もう少しここにいたいような気持ちを無理矢理押さえ込み、「お休み」と一声かけてドアをわざと勢い良く
開いて体を外へ押しやる。後ろ手に、極力そっとドアを閉めた。
 廊下の空気は、火照った顔にはやけにひんやりと感じられた。


 終わり



―後書き―

『居眠りする真をお姫様抱っこでベッドに寝かせに行こうとしたら起こしてしまい、ドギマギするP』
とかだいたいそんな感じの流れだった所で急遽書いたもの。この短さだというのに随分時間がかかったorz
アイドルランクを上げていくにつれて真の女性らしさは徐々に目覚めてくるんじゃないかって気がします。
トップアイドルになっても『ボーイッシュ』さは失わないと思うけどw